マイノリティ・リポート
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精神科医 斎藤環、脳科学のウソを分析する

双風舎のウェブサイトから、
「人間」と「言語」、あるいは偶有性のアスペクト 斎藤環から茂木健一郎への手紙「人間」と「言語」、あるいは偶有性のアスペクト 斎藤環から茂木健一郎への手紙を読みました。


「誤解という強い表現をあえてもちいるのは、茂木さんが、ラカンの名前を出されたからです。つまり、ラカン理論として考えるなら、茂木さんの鏡像理論に関する解釈は、端的に誤解と申しあげるほかないのです。
 茂木さんの文脈では、鏡像段階も接触によるフィードバックも、主体を生みだすブートストラップという点では同じことになってしまいます。」



「茂木さんは前回のお手紙で、「偶有性」を次のように定義されていました。
 「『偶有性』とは、規則性とランダム性、既知のことと未知のこと、硬いことと柔らかいことが入りまじった状態を指し、現代の脳科学において、たいせつな概念の一つとなっています。」と。
 この「偶有性」の解説は、私の知っている「偶有性」とはずいぶん違っているので驚きました。規則性とランダム性の中間? えーと、「中間」なんですか? なんだか、とても難解です。いったいどんな状態なのか、私にはちょっと想像がつきません。

 そして、〈硬いことと柔らかいことが入りまじった状態〉ですか? つまりそれは、外はカリッとしていて中はトロトロ、みたいな状態でしょうか。なかなかおいしそうなタコ焼……いやいや偶有性ですね。そう、ここは村上春樹ならまちがいなく「偶有的タコ焼き」とか表現するはずのところです。

 ふざけたことを書いてすみません。しかし、このくだりだけは、どうしても承伏しかねるのです。あらゆる発言のソースを示せとは申しませんが(それは私にも“ブーメラン”ですから)、茂木さん、ぜひ偶有性のこうした定義がいかなる典拠によるものか、私にご教示ねがえませんか。なにも一言一句まちがいなく引用すべきとまでは申しません。ただ、茂木さんのおっしゃる「偶有性」解釈は、あまりに特異すぎて……。

 たとえば、『広辞苑 第五版』で「偶有性」を引くと、「ある事物を考える場合に、本質的でなく偶然的な性質。例えば人間一般を考える場合、その皮膚の色のようなもの。偶有的属性。偶性。」とあります。

 ただし、茂木さんは、「偶有性」に該当する英語として、contingencyを採用されていますよね。そこで、contingencyについて、医学辞典などもふくめていくつかの辞書を調べてみましたが、どうしても「予測が付かない偶然」以上の含意が見あたりません。」

など、鋭い指摘。
とにかく、茂木のかずかずの持論が全然意味が通らないと思っているのは僕だけではないという事は分かりました。

セカイイチ

懐かしすぎるだろう。

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