アサヒカメラと美術手帖に送って無視された論文「物語型写真集の構造」 | マイノリティ・リポート

アサヒカメラと美術手帖に送って無視された論文「物語型写真集の構造」

 写真集は、文字通り写真を集めたもので、編纂するうえでは一冊を通じたテーマやコンセプト、トーンが重要とされる。

 そのなかで、写真の構成によって、作者の感情の揺らぎやストーリーをたくみに演出した写真集が生まれた。以下、この項では、そのような写真集を「物語型写真集」と呼ぶ。

 物語型写真集の典型的な例は、荒木経惟「センチメンタルな旅・冬の旅」大橋仁「目のまえのつづき」佐内正史「俺の車」などと思う。

 そのルーツはエルスケンが「セーヌ左岸の恋」で実践した映画的構成だろう。

 さながら映画のモンタージュのように、一枚の写真を1カットとして物語を紡ぎ出す。
 あるものは時系列の異なる写真を同時に展開し、またあるものは左右のページで相対するものや、相似するものを並置して相乗効果を狙う。

 写真は一枚で意味性を完結させるものだったわけだが、本という形態に着目し、表現方法を進化させたのが物語型写真集だといえるだろう。

 ところで、実は、私がこの手の写真集を読むことができるようになったのは、つい最近のことだった。

 物語型写真集の劇的な構成はその反面複雑で、免疫のなかった私には、これがいかなる形式によるもので、どうやって読むべきものなのか分からなかった。

 風景スナップや繰り返されるイメージは、見るものに何をもたらそうとしているのか?
 専門書を当たっても、感覚的な説明があるばかりで疑問に答えてくれるものではなく、私は困惑するばかりだった。

 理解できるようになったのは、養老孟司の日本語に関するエッセイを読んでからだ。

 養老孟司は日本語を、表意文字である漢字と、表音文字である仮名を組み合わせて著される非効率的な言語であるとする。その一方で、漫画が日本で発達したのは、漫画の文法が、日本語の著述形式の延長線上にあるからだとする。

 これはつまり、日本語において表意文字である漢字が、すでに絵と同じ役割を持っていたために、日本語圏の人間は、文字情報と図像情報が入り混じる漫画の形式を理解、発展させることに長けていたのだということらしい。

 もし日本語、さらに漫画の延長に写真集があるとすれば、写真をもって著述する文章=物語型写真集と言えるのではないか。私はそう考えた。

 いま述べたように日本の物語型写真集は「写真をもって著述する文章」である。
 写真を使った絵本や、サラ・ムーンの「サーカス」ようなある物語のモチーフを題材にした写真とも違う。
 発生が全く異なるのである。

 これは机上の空論かもしれないが、頭の中で写真を文字、写真集を文章と置き換えることで、私が写真集を読むことができたのは確かだった。

 写真と写真とを、捉えられた時間と時間とを、意識によってつなぎ合わせる行為。それが物語型写真集を読むということだ。

 ・・・いまにして思えば、鍵は最初から手の中にあったのだ。

 『写真家としての出発を愛にし、たまたま私小説からはじまったのにすぎないのです』
               (荒木経惟「センチメンタルな旅・冬の旅」)