無理に持ち上げないでください | マイノリティ・リポート

無理に持ち上げないでください

本日付の朝日新聞オピニオン欄に川上未映子のインタビューが載っている。

一面の目次には”継続は力。だけど、こだわらないことが運を呼ぶ?文化系賞コレクター、川上未映子さんは、思い切りよく活動分野を変えてきた。(後略)”と書かれ、オピニオン欄には”(前略)親も子も、一日も早く自分の進むべき世界を見つけ出そうと懸命だ。だが、芥川賞作家、川上未映子さんは、周りの世界のほうが選んでくれるのだという。(聞き手・鈴木繁)”とある。

しかし本人は記事の中で
「大阪から東京に出て来て6年やっていた音楽では芽が出なくって。詩の雑誌『ユリイカ』に、スペースありますか、詩を書きたいんですと電話したんです。」と記事の中で語っている。

売り込みをしているのなら、”周りの世界のほうが選んでくれる”というのは言い過ぎではないのか。

料理人を例に挙げてみる。
栗原はるみのように、料理が得意なら料理研究家になれば?と誰かにいわれれば”世界のほうが選んでくれる”と言っていいかもしれないが、料理屋の門を叩いて板前になった人間を”世界のほうが選んでくれた”という言い方をしていいものだろうか。

しかも、音楽では「芽が出ていない」ので、文化系賞コレクターという呼称は過剰表現だろう。

川上未映子が獲得した賞は、記事に書かれているものでは芥川賞と、芥川賞の威光にあずかるようにして与えられた(ので、本人に責任はないが)キネマ旬報ベストテン新人女優賞(って何ですか?)の2つだけだ。

また記者は”今の時代、みんな早く手に職をつけたりして、安心したがってる。そこに、川上さんは音楽の世界から詩や小説に転じて賞をかっさらい、映画の女優賞まで取った”としているが、川上はインタビューの中で「家計のためにも、中学生くらいから手に職をつけたい、はやくお金を稼がないとなって思ってました。社会に出るまでの猶予期間、モラトリアムっていうのを知らないんです」と語っている。手に職をつけるどころの話ではなく、必要に迫られて社会に出て働いていた事になる。

さらに、川上は「なぜ音楽はダメだったのに書いたものは読んで読んでもらえるのかは、自分じゃ分からない。どっちも一生懸命ですしね。運もあります。もし、編集長が自然主義文学の信奉者だったら全然ダメだったでしょう」と言っているのである。

まさに”親も子も、一日も早く自分の進むべき世界を見つけ出そうと懸命”であるという事だ。どうして記者の文章と川上未映子の発言に、ここまで隔たりがあるのだろうか。

本人の発言によらず結論ありきで書かれているのではないか。
自然主義のジャーナリストの中には、取材対象である本人の話を聞かずに、物語を勝手にでっちあげる人がしばしばいるが、これもその類(たぐい)かもしれない。