マイノリティ・リポート -2ページ目

そういえば、こんなのありましたね

はったり

1.なぐること。喧嘩(けんか)をしかけておどすこと。浄瑠璃、双蝶蝶曲輪日記「喧嘩しかけて物取るを、-というて今はやるげな」

2.大胆に粗放に事を行うこと。実状よりも誇大に言ったり、ふるまったりすること。「ーをかける」「ーを言う」「ーをきかす」

  【広辞苑 第六版】

無題

マイノリティ・リポート-無題

ブログを始めた時に、一番苦労したのが文体だった。
当初は自分が書いたエッセイ、小説、評論などをおさめる文箱のようなものだと考えていた。

記事はWordで縦書きで書いたものを移植していた。いまとなっては笑ってしまうような事だが、用紙も、わざわざ20×20に枡を区切って設定していたのだった。

だが、何かがおかしい事に気がついた。

速度が足りない、と思った。上から下に流れる横書きのブログの形態が、文体にまとわりつくようだった。他のブログを読んで研究したりした。句点を読点に直し、読点を句点に直し、改行を増やし、肉付けを減らした。

縦書きで書いたものを修正して横書きに直し、気に入らなければ、それをまた修正する。

それを何度かやるうちに、直接(?)横書きで書くようになっていった。
つまり、ブログの文体として。

まるで尾崎紅葉か夏目漱石にでもなった気分だった。

ロシア文学の翻訳から日本の自然主義を発見したのは紅葉ではなかっただろうか。四迷だっただろうか。もう覚えていない。どちらの著作も読んだ事はない。

横書きで文章を書く習慣があれば、彼らももう少し楽に文学を始められたのではないか、そんな事を思った。

このブログの船底にはそのような痕跡がある。

副産物は自分を語る方法、のなさだったといえるだろう。
今更どうしようという事もないが。

私小説は美しいが、良く書けたものはあまりにも少ない。良く書けた小説が必ずしも認められるとも限らない。

言うまでもなく、すべての小説が私小説ではない。ブログは私小説ではない。が、文学がブログで出来ないわけではない。あるいは、そのような語りによって生まれる文学もありうる。
かつての日本の小説のように。

異論があるならば、明治の文士に問うてみればよい。

文学を貫くのは大変ですか、と。